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民衆を導く自由の女神

La Liberté guidant le peuple 1830年 259.0cm x 325.0cm
1830年7月の市民によりブルボン朝のフランス王シャルル10世が倒されたフランス7月革命をテーマに描いた作品。当時のフランスは、ナポレオンの失脚により1815年にブルボン朝の王政が復活した。しかしブルボン王朝のシャルル10世は1830年7月の選挙で反シャルル派閥が圧勝したのにも関わらず、勅令を利用して召集前の議会解散や、市民選挙権縮小、報道の自由の廃止等、様々な暴挙を行った。

この勅令の報道抑制を無視して発行された新聞社の関係者を逮捕に向かった警官隊と印刷行員の間で最初の衝突が発生。7月27日には、労働者階級や学生等をを中心としたパリの民衆が、三色旗を翻して街頭にバリケードを築き、28日29日までの3日間で、約1万人の市民を中心とした反王党派と、同等規模の1万人の王党派の軍がパリを中心とした市街戦で激突した。ギロチンを怖れたシャルル10世はオーストリアに亡命して退位し、後継政府には絶対王政を否定して立憲君主制を採用したブルボン家の支流であるオルレアン家のルイ・フィリップ1世が王位についた。

絵のスタイルはロマン主義に属する。絵の中央に大きく描かれている女性は、フランスという国家自体を擬人化した人物「マリアンヌ」。マリアンヌはこの絵だけでなく、様々なところに用いられているが、例えばフランスが発行しているユーロの硬化の裏側にも描かれている。マリアンヌが被っている帽子はフリジア帽と呼ばれ、古代ローマに起源をもつ赤い三角帽。身分が解放されて自由になった奴隷が被るものとされていた。この作品によって、フリジア帽を被った女神のマリアンヌがフランス国家の象徴となった。この絵に描かれているマリアンヌは、ドラクロワの愛人をモデルにしたとも言われている。

ちなみにフランスでは毎年その時代を象徴する美しい女性としてマリアンヌが選ばれている。有名どころでは、カトリーヌ・ドヌーヴ、ブリジット・バルドー、ソフィー・マルソー等がいる。作中のマリアンヌは、多くの遺体を乗り越え、その後フランスの国旗となる当時のフランス革命旗を右手に持ち、高く掲げている。このフランス国旗の3色は「自由」「平等」「博愛」を意味している。もう一方の左手には銃口に剣が付いたマスケット銃を手にしてて、多くの市民を率いている。

作中に描かれている人物は、シルクの帽子を被ったブルジョワ階級、二角帽を被った学生、両手にピストルを持つ少年等、様々な階級の人々が描かれている。画面左側のシルク帽を被った男性は、ドラクロワ本人という説もある。実際に7月革命にドラクロワ自身も参加していたと唱える学者もいるが、ドラクロワ自身が、多くの日記や書簡を残しているのにも関わらず7月革命の3日間に関する記述等は一切残っていない。

1830年のフランス7月革命の翌年1831年にフランス政府が3000フランでこの絵を買い上げたが、作品のメッセージ性等から、ドラクロワに返却された。その後、1936年頃に革命後に国王となったルイ・フィリップ1世が6000フランでの購入を申し入れるも、この作品をヴィクトル・ユーゴーにプレゼントしようとしていたことを知ったドラクロワは、「私の絵を見る目を持たない人に贈るよりは、自分自身の手元に置いておきたい。」と言って、国王からの注文を断っている。これは、ユーゴーがドラクロワの事を「アトリエ内では革命家であっても、サロンにおいては保守主義者」と批判していたことから、ドラクロワ自身もユゴーの事を嫌っていたと言われている。

その後サロンに出展されるなどした後、1874年にルーブル美術館へ収蔵された。この作品は、ニューヨークの自由の女神や、ユゴーの有名な小説「レ・ミゼラブル」等、後の多くの芸術家に影響を与えた。

2013年2月7日18時頃、ルーヴル来場者の28歳の女性が、黒いフェルトペンでこの作品に落書きをした。作品の右下部分あたりに、縦約6センチ/横約30センチの大きさで「AE911」と落書きした。この女性は警備員がその場で取り押さえ、警察に引き渡された。落書きは表面的なものであり、キャンバスの奥まではしみ込んでおらず、専門家によって完全な状態に修復されて消された。