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バベルの塔

The "Little" Tower of Babel 1563年 74.0cm x 60.0cm
バベルの塔は旧約聖書に登場する巨大な塔。一般的には神話として扱われているが、紀元前6世紀頃のバビロンに築かれた実在した神殿と関連付ける説も存在する。昔、この世の人々は一つの言語を共通の言葉として意思疎通をしていた。そんな中、人々が天に届く塔を建てようと考えて建築を始めたがバベルの塔だが、それに怒った神は、人々の会話を通じないようにして、バベルの塔の建築を断念させた。その結果この世には複数の言語が存在するようになった。このようなことから、天まで届くような塔を建てるように、実現することが不可能な事に取り組むことを「バベルの塔」と言うようにもなった。

このように、虚栄心やうぬぼれ等から、実現できもしないことに取り組む人間の放漫さや愚かさ等をバベルの塔は象徴していると言われている一方、この絵のように実現不可能な高い塔のを建てようと挑戦する人々の心意気や勇敢さを、この絵はメッセージとして蓄えているという解釈も存在している。

この旧約聖書に登場するバベルの塔の神話は、ブリューゲルをはじめとする何人かの画家に描かれており、ブリューゲル以外にも、ルーカス・ヴァン・ヴァルケンボルク、アタナシウス・キルヒャー、ギュスターヴ・ドレ 等のバベルの塔が有名である。ブリューゲルは実際にはバベルの塔を3つ描いたと言われているが、一つは消失してしまい、現在は2つのバベルの塔の絵画が存在しており、それぞれをキャンバスのサイズから、「大バベル」「小バベル」と呼ばれており、当作品は小バベルとされる。

「大バベル」はウィーン美術史美術館に収蔵されており、この「小バベル」はボイマンス=ファン・ブーニンゲン美術館に収蔵されているが、一般的にブリューゲルのバベルの塔と言えば、ウィーン美術史美術館の「大バベル」の方とされている。ブリューゲルが描いたこの「小バベル」は最晩年の作品である。

このバベルの塔は非常に細かく細部にわたり書き込まれており、この絵の中には約1400人もの人間が描かれており、それらの一人一人は約1ミリ~3ミリ程度の大きさであり、筆の極小の毛先で描いて表現されている。塔の高さは、描かれている人間の大きさから推測すると、約510メートルといわれており、現代の建築物と比較すると「台北101」と同程度の高さでである。

旧約聖書にバベルの塔の形状等の詳細は記載されていないので、ブリューゲルは想像によってこの絵を描いた。ブリューゲルはローマを訪れて、コロッセオを観たと言われており、この作品はコロッセオの構造等の影響を受けている。それまでの多くの画家はバベルの塔を四角柱の形状で描いていたが、このように円錐状のバベルの塔を描いたのは、ブリューゲルが最初であり、後の多くの画家に影響を与えた。

実際に細かく書き込まれているバベルの塔の工事現場の様子等は、ブリューゲルの出身地であるネーデルランド地方の当時の建築技法等を参考にしており、木々で足場を組み、そこに大きな滑車を付けて、木材等の材料を塔の上部まで引き上げ、それをさらにはしごを使って上へと運んでいる様子が描かれている。この非常に大きなバベルの塔の建築にあたっては、非常に多くの時間を費やしており、その証拠として塔の下部と上部ではレンガの色が異なっており、これは下部のレンガが時間の経過により色あせていることを表現している。もしくはこのレンガの色の違いは、産地の異なるレンガを使ったということを表現しているという説もある。

非常に細かく書き込まれた細部を見ていくと、塔の中央部には教会が描かれており、また洗濯物が干されている箇所があることから、この塔の建築に従事していた人たちが住み着いて生活していたと思われる。塔の窓の形は場所によって微妙に異なっており、これは塔の建築には膨大な年月がかかっていることにより、窓のデザインや様式が変化していく程の時間が経っていることを表現している。また塔が建っている周囲の風景には海や港町が描かれており、税関らしき施設も存在している。陸地側はネーデルランドに似た農村風景が描かれている。

また塔の上部近辺には薄暗い雲が描かれており、これはブリューゲル自身が警告の意味を表現して描いたとも言われている。人間の英知を注ぎ込んで、非常に多大な時間と労力をかけて築き上げている建築中のバベルの塔であるが、大自然の前ではこれまでの労力もむなしく、一瞬で塔自体が崩れ落ちたり吹き飛ばされたりするかもしれない心情を表現している。

この旧約聖書で語られたバベルの塔の舞台は古代バビロニアであるが、当時国際貿易で栄華を極めていたアントワープ等のブリューゲル本人のゆかりが深いネーデルランド地方の状況やそれらの人々のおごりをバベルの塔に置き換えて描いたと解釈することもできる。